12.二人の関係




薄曇だが気温は意外なほど高い。祥太郎は窓の外から聞こえる喧騒に目を細めた。
今年ももうプール開きを終え、元気の有り余っている学生たちは、進んで水遊びに興じている。OBの躍進もあって、水泳部はことのほか充実している様子だった。

職員室を経由して一人で生徒会室に向かうと、はじかれるように顔を上げた蓮はちょっと残念そうにした。きっとナツメがいないからだろう。
白雪と隼人に勧誘されてからというもの、蓮は自分の立場を明確にしないながら、週に数度は生徒会室へ来るようになった。

「あれえ?」

祥太郎は頓狂な声を上げた。蓮の向かいに座ってすました顔をしているのは、とっくに卒業したはずの国見天音だった。

天音は祥太郎を見上げると、相変わらずの優雅な仕草で持っていたカップを下ろし、嫣然と微笑んだ。
天音と向かい合うと、蓮はどことなく似たような雰囲気がした。

「どうしたの、国見君、こっちに来るなんて、珍しいねえ。」
「華道部の方からお呼びがかかりましてね。ちょっと指南をしてきました。ついでに茶道部の方にも顔だけ出してきましたけど。」

天音は言葉を切って、蓮の顔を覗き見るようにした。

「あなたはてっきり、茶道部に入るものだと思っていましたよ。」
「へえっ、茶道部!」

祥太郎は天音の隣に割り込んで座った。わざとにじり寄るようにすると、ちょっと顔をしかめられてしまうが、決して突き放したりはしない。
2年間を生徒会の役員として過ごし、今も親交のある天音は、祥太郎にとっては兄貴ぶる弟みたいな存在だった。

「松本君に茶道部って、凄く似合う! 今からでも入部すればいいのに!」

流石に男子校だけあって、華道部と茶道部は、いつでも人員の不足に喘いでいるはずだ。
祥太郎の発言に、天音は呆れたような顔をした。

「似合うどころのお話じゃなくて、蓮君の茶道の腕前はたいしたものなんですよ。たしか、先ごろ準師範になられたのですよね。」
「いえ…僕なんてまだまだで。」

蓮は謙遜すると、恥ずかしそうに笑う。
祥太郎は蓮の印象が、最初の頃とはずいぶん変わっているのに気付いていた。
朗らかだし、よく喋る。ナツメがいない時の蓮は、別人のように明るかった。

「へー、それじゃあ、どうして茶道部に入らなかったの?」

覗き込むようにして聞くと、蓮は僅かに顔をこわばらせた。

「茶道はもういいんです。そこそこお免状も頂きましたから、これからは家業の修行に励もうと思って、足を洗いました。」
「おや、それはもったいない。おうちのこともいいですが、自分の楽しみは続けておいた方がいいですよ。」

祥太郎は首を傾げた。天音はよく蓮のことを知っているようだった。

「国見君は、ずいぶん詳しいみたいだけど、松本君とはお知り合い?」
「ええ、彼のおうちは日本橋で古くから伝わっている呉服屋さんで、おばあさまがご贔屓のお店ですから、私も子供のころからずいぶんお世話になっているんです。」
「あっ、お世話だなんて、お得意様にもったいない!」

蓮は慌てて手を振った。それからにわかに商人の顔になって、深く頭を下げた。

「そんなことですから、御用の際はどうぞ青松へお越しください。」
「うわー、国見君のおうちがお得意の呉服屋さんなんて、僕の手には余りそうだよう。」

「んなことねーよ。蓮のうちは、浴衣なんかも扱ってるから、そのぐらいなら俺がプレゼントしてあげるよ、祥太郎先生。」

「あ、ナツメ君。」
「おや、君は確か…。」

突然入ってきたナツメに祥太郎が声を上げると、天音がいぶかしそうに目を細める。
祥太郎はそんな天音の顔を、ナツメの顔と交互に見た。

「やっぱりお知り合い?」
「いえ、知り合いというか…蓮君のお友達の、日吉神社のご子息じゃありませんか?」
「………日吉神社はあってるけど、蓮とは単なる知り合いっす。」

ナツメがつまらなそうに言うと、蓮は静かに顔を伏せる。天音は皮肉げな様子で笑った。

「単なる知り合いは、名前を呼び捨てしたりはしないものですよ。」

天音に指摘されるとナツメは面白くなさそうに顔をしかめた。
ツカツカと歩み寄ると無理やり祥太郎の脇に座ってくる。いくら祥太郎が小さいといっても3人座るには狭く、強く押された天音は今度こそはっきり嫌な顔をした。

「狭―い! ナツメ君、あっちに座ればいいじゃない!」

思わず声を上げると、ナツメはますますくっついてくる。そうしておいて、蓮の方を覗う様子だ。

「狭い方がいいじゃん? 祥太郎先生と密着できて。」

ナツメの腕が胴にしっかり絡みついてきて、頬と頬が寄せられる。
いつものナツメの悪ふざけに辟易していると、不意にナツメが無様な声を上げ、体が軽くなった。

見上げると、姿の見えなかった隼人が、ナツメの襟首を捕まえて宙吊りにしているところだった。

「いい加減にしろっていってるだろう、ピヨ! 祥太郎、困ってるじゃねーか!」
「そうだよ、ピヨ君。好きな子に嫌がらせするのって、子供っぽいよ。」
「だからぁ! ステレオでピヨって呼ぶなって言ってるだろ〜!」

ナツメはじたばた暴れると、隼人の手を振り切った。
そのまま隼人だけを睨みつけるが、隼人はまったく意に介してない風だ。

「天音さん、持ってきたよ、これでいいんだろう?」
「ああ、そうですね、ご苦労様でした。」
「なに? 何か頼まれごと?」
「大学部と高等部の合同で、体育祭を行うようですよ。」

祥太郎の質問に、天音は面倒くさそうに顔をしかめながら言った。
スポーツも、やらせればなんでもそつなくこなす天音だったが、競技と名のつくことは基本的に好きではないようだった。

「踊りのお稽古ならともかく…男ばかりのこんな環境で汗臭くなるばかりの体育祭が、なにがそんなに楽しいんだか。」

毒舌は相変わらず健在で、祥太郎はおかしくなる。
こうしてクールを装っていても、いざ事が始まると結構熱心に働くのは、天音の几帳面な性格ゆえだろうか。

「さあ、では書類も揃ったようだし。あとは慎吾をピックアップして帰ります。」

天音は書類で机を叩くようにして端を揃えた。
それからふと、いたずらっぽい目つきをして一同を見渡す。

「もうプール開きも済んだんでしょう? 今年の白鳳マーメイドは誰だったんですか?」
「今年は、たしか1−Bの栗本君だったかな。小柄で、ちょっと咲良さんみたいな顔をした子でしたよ。」

要領よく答える白雪に、天音はちょっといぶかしそうな顔をする。

「おや。私はてっきり蓮君に白帆の矢が立つものと思いましたが。」
「松本君も候補には挙がってたみたいですけど…。」
「けっ! どうして蓮なんか!」

弾かれるように反応したのはナツメだった。

「あんなの、可愛い子を選ぶお祭りだって言うじゃないか! 蓮みたいにぬぼっとでっかいヤツが選ばれるわけないじゃん! どんな目をしてんだよ!
可愛いって言ったら、やっぱり祥太郎先生しかないだろ!」
「なっ、何で僕がっ!」

「残念ですね、祥太郎先生は、3年前の白鳳マーメイドに選ばれてしまったので、二選はないんですよ。」

いきなり名前が出て焦る祥太郎を尻目に、天音はぬけぬけとそんなことを言う。
言い出したナツメの方がタジタジとしていた。

「でも、あなたはよほど、蓮君が衆目を浴びるのがいやみたいですね。そんなに過剰に反応するなんて、ね。」

余裕有りげに笑うと、天音はゆっくり立ち上がった。
相変わらずの優雅な仕草で軽く礼をすると、肩のほとんど上下しない独特の歩き方で静かに部屋を出て行く。
いつもどおり、用さえ済めば長居する必要は感じないようだった。

天音が出て行った部屋に残された現役の高校生たちは、何か居心地が悪そうに見えた。
ナツメはしばらく憮然と立っていたが、やがて思いついたように部屋の奥に向かった。キッチンにちゃっかり常備してある自分のカップを取りに行ったらしい。

「…つーことで、事後承諾になっちゃったけど、大学部と合同で体育祭、やるから。」
「事後承諾って…学校側の了解とか取らなくちゃ。」
「有志だけでやる、いわば同好会的なもんだから。場所だけは押さえてあるし。」

いかにも直哉の弟らしい強引なやり方で言い切ると、隼人はきゅっと口を結んだ。

「言っとくけど、大学部と合同ってことは、もちろん兄貴だって参加すんだからな、祥太郎。」
「え…そ、それがどうかしたの?」
「どうかしたのじゃなくて!」

隼人はさもじれったそうに顔をしかめた。

「おまえとピヨの、宙ぶらりんなとこ、兄貴に見せるなって言ってるんだよ!」

それでも声を潜めてしまうあたり、やはり隼人は優しい子なのだろう。

祥太郎はため息をついて、キッチンで白雪と騒いでいるナツメと、肩を落としたふうな蓮をすかして窺った。





前へ ・ 戻る ・ 次へ